しょうがねェな、あのコックは

 しょうがねェな、あのコックは。
 ほかでもない同じ船に乗り合わせている奴のことだ。仲間でもある。

 アホな野郎だ、と最初から思っていた。なにせあのバラティエとかいうレストランで「ばかじゃねェのかお前ら」と、わざと冷めた態度をとってきたのだ。
 馬鹿なのはそっちだ、と思った。見てりゃあこいつがコックという仕事に誇りを持ち、副料理長をしているこのレストランを大事にしているのは明らかなのに。この店を守るためにはどんな犠牲を払っても厭わないだろうに。他人の信念を馬鹿にするような奴じゃないのは明らかなのに。
「おれはそういう無謀さとは無縁だぜ」みたいな態度がどうにも違和感があって、その理由を探ろうと煙草をふかす横顔を眺めた。
 肌が白い。まだ少年の面影を残す細い顎には、申し訳程度に髭が生えている。スーツなんか着て大人ぶってはいるが、おそらく自分と同年代だろう。レストランのオーナーにシメられてちきしょうと唸っているところなんか、背伸びしまくってるガキそのまんまだ。
 指が細い。よく見るとところどころに火傷跡があるから、なるほどウェイターじゃなく料理人が本職なんだなあと納得して。なのに煙草を挟むひとさし指と中指がなんか卑猥だな、と思った。
 それは以前立ち寄った島の歓楽街で声をかけてきた男娼に原因がある。そいつもこいつと同様、見事な金髪だった。
 お兄さんなら安くしておくよと、しなをつくって媚びる眼差しは、いかにもこういった商売慣れした者特有のものだった。この金髪も本物だよ、と聞いてもいないのに教えてくれたその見てくれは、賞味期限のとっくに切れていそうな商売女を抱くよりはマシだと思えるほどには整っていた。
 そっちの趣味があれば喜んで買うだろう少年は、ふうんと気のない返事をしたこちらに傷ついた表情を一瞬だけ見せ、「損はさせないから」と腕にしがみつく。ふわりと、ほのかに柑橘系のコロンが鼻腔をついた。
 中性的な面立ちに白い肌。これに金髪とくれば需要はあるのだろう。それでも少年が提示してきた金額は娼婦に払う相場よりも安かった。
 抜ければ一緒だろうとは思ったが、なんとなく男を買う気分になれなかったので断った。断ったときの少年のがっかりした顔に、悪いなとは感じた。
 だからといって気が変わったと告げる気もなかったので、その男娼とはそれきりだったのだが。

 こいつだったらいけるかもしれねェな、と直観した。
 あの荒くれコックたちの中にあって一人だけ身綺麗にしていやがるから、もしかしてレストランの接客の一環で別の意味で客もとってるんじゃねェかと思ったのは、おれだけじゃない筈だ。
 おいてめェは一晩いくらだと、からかいついでに本気で尋ねようとしたものの、その機会は訪れなかった。
 鷹の目ミホークが現れたからだ。

 結果あの見事なまでの惨敗でレストランを離れることを余議なくされたおれは、あークソ、あの金髪野郎とこれでもう二度と会えねェなと少々がっかりして。
 ルフィがあいつを仲間として連れてきたときには、マジかよ、という感じだった。あのレストランにかなり執着しているようだったから、船長お得意の強引さで無理に引っぱってきたのだろう。
 それにしても困ったのは、コックへの態度だった。
 それなりに戦闘能力があるのも、料理の腕があるのも、間違っても枕営業できるような性格じゃねェとわかっても、最初の刷り込みとはおそろしいもので、どうしても過去出会った金髪の男娼とあいつを重ね合わせてしまう。
 ナミにアホみたいにでれでれしている姿を見ても、こいつがおれのをしゃぶる光景はどんなだろうとうっかり想像してしまい、腹に力をこめたのも一度や二度ではない。
 そんなこちらの気も知らないで、コックはやたらと突っかかってくる。「おいマリモ」だの、「くせェぞ腹巻き野郎」だの、「寝てばっかの藻は干乾びちまえ」だの。
 売られた喧嘩は買うが、小競り合いしている最中にのけぞる白い喉や足を蹴りあげた尻のラインを直視してしまうと、ヤバいほうに想像がいってしまうので困る。
 なのであいつのほうは極力見ないようにしているというのに、むこうはそれが気にくわないらしく、「メシを作ってもらってるってのに剣士様はこちらを無視ですか。結構なご性格ですねぇ」と絡んでくる。悪循環だ。
 島に上陸するたびに女を買って性欲を吐きだしても、状況は変わらなった。船に戻ればあいつと顔を合わせることになる。そうなればまた「こいつの締まり具合はどうだろうか」などと、悶々と考えてしまう。

 どうにかならねェもんかと考えていた矢先だった。
 たまには年長同士酒を酌み交わそうぜと、誘われた。
 はっきり言って、困ったことになったと思った。これがほかの連中もいるところであれば、なんとかやり過ごせるだろうが、二人きりというのはちょっとまずい。
 せっかくだが断ろうと適当な言い訳を考えていると、「てめェの好きそうなアテも用意したし、な?」となんだか必死な感じで迫られて、衝動的に頷いてしまう。
 実際次々にテーブルに並べられるうまそうなつまみの魅力に抗えなかったのは否定しない。しかし、忙しいだろうに自分を飲みに誘うためだけにこれらのものを用意した、そのことがその席につかせた最大の理由だ。
 どうだ、うめェだろ?と無邪気に尋ねてくるコックに、おれはああと答える。にっかりとするその笑顔をなるべく見ないようにして、ウイスキーグラスを傾けた。
 悪くはなかった。酒もいつも飲んでいるものよりも上質だったし、好きなペースで飲んでも「おいコラ貯蔵庫空にする気か」と文句も言われない。コックも年長飲みと銘打っただけあって、時折ぼそぼそと喋る以外はうるさく噛みついてこない。

 その均衡が崩れたのは、用意された酒のもあらかた飲みつくした頃だったか。
 なあゾロ、とむこうが改まった調子で話しかけてきた。
 いつになく真面目な声だったから、ついうっかり直視してしまった。見るんじゃなかったと思う。
 自分に比べてほとんど飲んでいないにもかかわらずコックの肌は桃色に上気していて、それが酔いのせいだとわかっても尚、潤んだ目元にはある種の抗いがたい引力があった。
「何だ」とおれは唾を飲み込んだ。
 こいつは仲間で、これからも航海を共にする。こいつは仲間だ、と自らに言い聞かせた。
 それなのに、コックはたった一言でこちらの自制心を壊してくれたのだ。

「てめェ、おれのことどう思ってる?」と。

 これがもし昼間だったら、わずかに残った理性を総動員して「はあ?」ぐらいは言ってのけたかもしれない。だが生憎そのときはキッチンに二人きり。ナミは吹き出物ができたのを気にして早々に女部屋に籠ってしまったし、ルフィは肉をたらふく食って高鼾。見張り台のウソップは降りてくる様子もない。邪魔の入る隙はなかった。
 そりゃあどういう意味だとコックに問えば、そのまんまの意味だと返される。これが女相手であれば、意味を考えるまでもなかった。
 席を立って、テーブルを旋回する。ぱちくりと目を見開いて固まっているコックの肩に手を置き、顔を接近させた。

 触れた唇は柔らかく、あ、こりゃあ止められねェなと思った。抵抗されないのをいいことに舌も入れる。ん、と鼻にかかった声がコックから漏れて、それを聞いてますます興奮した。
 おそらく夢中になってむしゃぶりついちまったんだろう、唇を離したときにはコックはぐったりしていた。
 嫌なら抵抗しろと最終通告してもされるがままだったので、服を剥いで床に押し倒した。
 さすがにケツに指を突っこんだときは抗ったが、そこまできてやめられる筈がない。「痛い」と跳ねる身体をうつぶせにして、「あんま騒ぐとナミが起きてくるぞ」と囁いてやった。
 ナミ、の単語にぴたりと動きを止めたコックは、それから極力声を出さないようになり、挿入の瞬間以外は呻き声をほとんどあげなかった。

 クソコックの中は最高だった。
 それまで我慢していたのが馬鹿らしくなるくらい、よかった。これだったら蹴られても罵倒されてもいいから、早くお相手をお願いするんだったぜ、と。
 うしろからガツガツやるのをやめて正面からの体勢になっても、相手の男の象徴を目にしても、一向に萎えなかった。むしろ「本当に同じ男の持ちもんかよ」と感心するほどに、色も形もきれいなものだった。色素の薄い金髪碧眼がもてはやされる傾向があるのには、やはりそれだけの理由があるようだ。
 コック自身はそれを迷惑がっていて、買い出しの際にそれとなくコナをかけてくる男には、ぴくぴくと顔の筋肉をひきつらせ、あまりにあからさまなのは容赦なく蹴りとばしている。
 クソ、と吐き捨てている場面に遭遇したときには、「んだよ、何見てやがる!」と八つ当たりされたものだ。おんなじ金髪でもこんな柄の悪い奴に無体を働こうとするとは、相手を選べよと忠告したくなる。

 ただ、蹴り飛ばされた連中の雄としての嗅覚は悪くない。
 コックは本当によかった。
 あまりのよさに歯止めがきかなくなり、おそらく掘られるのは初めてだろうに無理をさせてしまった。頬を叩いても意識が戻らないので、もしかしてヤリ殺してしまったかと冷や汗をかいたものだ。
 幸い呼吸は正常だったから、とりあえず簡単な後処理だけして男部屋に運ぶべきかを迷う。
 結局、余計なことするとうるせェかもなあと結論付けてダイニングソファーに寝かせておいたのだが、その判断が正しかったのかどうか。

 翌朝のコックはいやにテンションが高かった。本調子でないだろうにくるくると動き回り、いつも以上にナミに構いまくって鬱陶しがられていた。
 身体的な意味で無理すんなよとは思ったが当然口にする筈もなく、黙々と食事するおれにコックがくだらない難癖をつけてくる。うるせェなアホ眉毛、とやり返せば、んだコラァ!とお決まりの反応。
 あーやっぱりヤってよかったぜと思ったのは、そんな奴を正面から見つめても、それまでのように邪な感情に囚われずに済んだからだ。人間、やってはいけないことがやっても構わないことに転じれば、さほどの切迫感を感じない。
 またやりたくなったらこいつを誘えばいい話だ。拒否されたら自由を奪うなりなんなり、いくらでもやりようはある。
 それに、一度は許したくせに二度目はないなんてありえない。
 なあ?と同意をこめてコックに視線を投げかければ、「な、んだよ……」と動揺で顔が強張る。手の甲に噛み傷のようなものがあるのは、声を殺すために自らの掌を噛んだせいだ。
 情事の名残を滲ませながら朝食の準備をするコック。悪くない。
 知らず笑みをこぼした自分に、やだ朝から気味の悪い顔見せないでよとナミが悪態をつく。

「うるせェ」
「悪党がろくなこと考えてないって感じだわ」
「黙れ」
「おいマリモ、ナミさんになんて口のきき方しやがる! 三枚にオロすぞ」

 コックが割って入る。いいのよサンジ君、とナミがひらひらと手を振った。

「この馬鹿をまともに相手するだけ無駄ってものよ。御馳走様」
「さっすがナミさ〜ん、クールな君も素敵だ〜」
「はいはい」

 アホな野郎だと思った。魔女にうざったがられても、ちっともめげていない。
 女は女神だと本気で信じているこいつは、いつか酷い騙され方をするだろう。それでもこいつは「いいんだ、レディのお役に立てたんなら」と寂しそうに笑う筈だ。

 それはそれで胸糞の悪くなる話だが、しかしおれが危惧しているのはそっち方面ではない。