屋外メインマストの横でごろりと寝がえりをうったゾロは、食糧庫でのサンジとのやりとりを思い出す。
これ以上自分が駄目になっちまうのが怖い、と言っていた。こちらの些細な言動に浮き立ったり沈んだりする、とも。
それらの言葉は耳に入っていたが、てっきり自分達の関係が一部クルーにばれたせいでサンジは面倒になったのだと、だから訳のわからない理由をつけているのだと思った。そしてそのことを正直に言うと彼は激高し、出て行けと叫んだ。
「俺が好きだって言ったよな、あいつ……」
潮風の吹きつける床板を背に、ゾロは上を見あげる。風にはためくガフセイルむこうの夜空では、いくつもの光が点在する。航海士であるナミはもちろん、サンジも星の位置から方角を見極めることができた。物心ついたときには既に船に乗っていた彼は、初歩的な航海術なら身につけている。
あの星と星を繋ぐ延長線上にあるのが北極星で、方位に迷ったらあれを目印にすればいいのだと、この場所で彼に教えられたことがある。
そのとき一番明るい星を目印にしちゃいけねえのかと尋ねた自分に、ばーか、だからてめェは迷子癖が治らねェんだよ、と彼は呆れた。
ああやってとりとめのない話をしながら過ごす時間も気に入っていたのだと、ゾロは片目をつぶる。
彼の視界もこのようなものなのだろうか。わざわざ隠す必要もないのに左目を髪で隠すのに、どんな意図があるのだろう。
「クソ、腹減った……」
ぐるぐると鳴る腹の虫に耐えきれず、ゾロは反動をつけて起きあがる。あの男のことを考えていると食べ物のことも連想してしまう。
気を紛らわすために指南書でも読むかと図書室のドアを押したゾロは、そこに仲間のひとりを見つける。
「あら剣士さん」
「よう」
中央のテーブルに本を積み上げてぱらぱらとページをめくるロビンは、調べ物でもしているのだろう、ストールを羽織っていた。
「今夜はちょっと冷えるわね」
「そうだな」
長話をするつもりのないゾロは、気のない相槌をうつ。
「こんな夜は、コックさんのいれてくれたミルクティが温まるわ。剣士さんも飲んできたらどうかしら?」
華奢な掌がティーカップを包む。部屋に広がる甘い芳香の発生源は、これだった。
「あいつが持ってきたのか?」
ごくりと唾を飲み込んだゾロは、湯気をたてる飲み物を凝視する。空腹のせいで、やたらとおいしそうだった。その表情を見てとったロビンがくすりと笑う。
「コックさんはまだ起きているわよ。たまにはお酒抜きで話をしてみたらどうかしら?」
お節介女の言うなりになるのも癪だったが、結局ゾロはキッチンを訪れていた。
「おい」
「……おれは『おい』って名前じゃねェ」
ゾロの登場にやや面食らったらしいサンジは、つけ置きをしている筈の食器をバットから取りだし、あっ、とちいさく呟いて元に戻した。
「で、何の用だ?」
漂白液のついた手を洗ったサンジは、エプロンの紐をほどく。
「今日はもう店じまいだ。食いもんはねェぞ」
「飲むのもか?」
「あー、酒かよ。ほどほどにしておけよ」
ラックの一番上を指をさした彼は、今夜はつまみは無しだ、とエプロンを丁寧に畳む。
「いや酒じゃねえ。茶を……いれてくれないか?」
「茶?」
「二杯分頼む。ミルクティってのがうまいと聞いたんだが」
「……ああ、」
それを聞いてサンジの溜飲が下がる。女性陣が入浴したワイン風呂を勿体ないからと飲もうとしたこの男が酒より茶を所望するなんて、どんな風の吹きまわしかと驚いたら、どうやらナミに頼まれたらしい。
「ナミさんと……もう一人はチョッパーか? じゃあお茶うけはビスケットがいいな。ナミさんは砂糖抜きって言ってたか?」
水をはった鍋を火にかけたサンジは、紅茶の缶を戸棚から出す。それから菓子の保存瓶をストッカーから持ってきて、ざらざらと中身をあける。この瓶には秘密があって、蓋に海楼石が仕込まれているので能力者であるルフィはつまみ食いができない。そのおかげで、冷蔵庫に入れられないものでも作り置きが可能となった。
「いや、それは俺とお前の分だ」
「……え?」
鍋に茶葉を投入したサンジは一瞬固まる。
「てめェと、おれの? ……何で?」
「一緒に飲まねえかと思って」
「だから何で?」
カップに湯を注いだ彼は、戸惑いの表情を浮かべた。
「酒って気分でもないからな」
「そういうことじゃなくて……何考えてんだ、てめェは? さっきは、おれも感情的になっちまったから悪いと思ってる。でもあれは本心だ。……もう、勘弁してほしいんだ」
そう言いつつも紅茶をいれている自分は何なのだろうと、サンジはため息をつく。とっておきのティーカップを棚に戻した彼は、普段使いのマグカップを出す。調理を途中で投げだすことはできないというのだけが、理由ではない。
「砂糖もいるか?」
「いや、いい」
「あっそ」
ミルクを加えた鍋に手をかざせば、ふわりと蒸気があたる。そろそろ頃合いだとコンロの火を止め、ここから三分、と懐中時計をポケットから取り出す。
「コック」
ゾロの気配が近づいてきているのは知っていた。そして相手が次に何をしようとするのかも。
「……痛ェ、馬鹿力」
背後から抱きしめられ、サンジは目を閉じる。あと二分半、と彼は時間を刻む。
「俺は………コック」
「ん?」
「何つーか、うまく言えねえんだが……」
逃げられないようきつく腕をまわしてくるゾロが、言葉選びに逡巡する。
「ほかの奴だったらああはなってなかったと思う。男連中でひっついて寝るなんて何度もあったし、それで妙な気になったことはなかった。でもお前には……なった」
熱い息がサンジの耳にかかる。きっかけはこの男の体温なのだと、彼は最初の夜を思い出す。
寝ぼけて潜りこんだ毛布の中は温かく、ぴったりと寄り添えば人肌が心地よかった。まだ幼かった頃、冬になるとゼフの布団にこのように潜りこんでいたものだ。そして密着している相手がゾロだと気づいても、その抗いがたいぬくもりから離れることができなかった。
「そういうことを俺とする位だから、もしかして他の野郎とも経験があるかもしれないと思ったら、何故かムカついた。それがどうしてかは自分でもよくわからねえ」
じわりとサンジの耳が火照る。間近で囁かれる低い声が、期待を誘う。この男が自分と同じ感情を持ってくれることなど、ある筈がないのに。
「お前が俺に惚れてるってのには戸惑ってる。正直俺にはそういう感情ってのが、よくわからん。でも、だからってこれまでの関係を解消したいってのは駄目だ」
「何で……だよ」
「知るか」
「何だそりゃ。勝手な奴だな」
あと十秒、とサンジは残り時間を数える。
十秒後には、鍋の中のミルクティは程良く蒸される。そうなったらこいつと一緒に飲んでみるのもいいかもな、と彼は思った。