ミルクティ

 きれいな女性は指先まで優雅だなあと、サンジは紅茶のカップをかきまぜるロビンの手元を見つめる。いつもならハーブティの彼女は今夜はそういう気分でなかったらしく、甘いミルクティを頼んできた。今夜は冷えるからと恥ずかしそうに笑った彼女にもまた、寝しなに温めたミルクを飲まされた子供時代の記憶があるのだろう。
「何かしら?」
 ティースプーンを置いた黒髪の美女が、不躾な視線を咎めるでもなくこちらに微笑む。
「いや、ロビンちゃんはいつもかわいいなあって」
「あらありがとう」
 定型文をさらりと受け流したロビンはカップに口をつけ、ほうと息を吐いた。
「とてもおいしいわ。それに花の香りがして……島特産の蜂蜜を手に入れたのかしら?」
「さすがロビンちゃん。春に咲くホクレンゲの蜜だけを集めた貴重なやつを、偶然知り合ったジイさんが持っていたっていうか養蜂家で。市場になかなか出回らないやつだったからへそくりはたいて買おうとしたんだけど、売ってくれなくて。仕事を手伝えばちょっと分けてやるって言われて四日間こき使われたけど、その甲斐はあったよ」
「だから島のレストランで合流しなかったのね」
「そう。船番の奴らにメシを作りに行くのだけは許してもらえたけど、基本ジイさんのところで働いてたから。おれが顔出さなかったせいで寂しい思いさせてごめんねー」
「大丈夫よ」
 締まりのない顔で見当違いのことを言うこの船のコックにつとめて冷静な対応をし、ロビンはティーカップを両手で包みこむ。
「明日の朝食はこの蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキだよ」
「それは楽しみだわ」
 紅茶で暖をとる姿はどこか幼く見えて、サンジは自然と頬が緩むのを感じた。美しく聡明なだけだったら近寄りがたいけれど、こんな風にふとした仕草がかわいかったりするから男心がくすぐられる。
 この船には魅力的な美女が二人もいるのに何故ゾロは自分なのだと考えたこともあったけれど、理由を知ったら笑うしかなかった。
「それは剣士さんの夜食ね」
「あ、うん。飲み終わったらシンクに置いておいてもらえるかな」
 悪いことをしている訳ではないのにどきりとしたサンジは、バスケットの蓋を閉じる。
「あいつ寝てると思うから、起こすのに時間がかかるかもしれないから。おやすみなさいロビンちゃん」
「おやすみなさい、コックさん」
 あからさまに言い訳がましい態度にも、あえて追及しないでおいたロビンはカップのふちをなぞる。
「ご苦労さまと剣士さんに伝えておいてもらえるかしら?」
「もちろんだよ。優しいなあロビンちゃんは。あんな奴には勿体ない言葉だぜ」
 夜食にしてはなかなかの重量を詰め込んだバスケット片手に、サンジは本日最後の愛想をふりまいた。


「オラ寝てんじゃねェ。クソ剣士」
 つま先の尖ったところで脇腹を蹴られたゾロは、うむっ、と唸った。展望室へとあがってくる気配は誰のものか察していたし起きなければ蹴られることは承知していたが、無防備な相手の肋骨を狙うとは。
「折れたらどうすんだ、クソコック」
「蹴ったぐらいで折れるのか、てめェの骨はよ」
 そりゃ折れるだろうと思ったがそう返してしまうと馬鹿にされそうな気がして、ゾロは面倒臭げに上半身を起こす。
「酒の匂いがするな」
「……ったく、一に酒、二に酒、三四が和食で五に酒だな、てめェはよ。今夜は冷えるからホットウイスキーにしたぜ」
「おお」
 湯気をたてるマグカップを受けとったゾロは、二、三度吹いてからゆっくりと飲む。それから数秒してん?という顔になった彼は琥珀色の液体を見つめた。
「熱いから火傷しないように飲めよ。どうした、不味かったか?」
 間違ってもゾロの口にあわないものなど作っていない自信のあるサンジがにやにやと笑う。うんこ座りの体勢で正面にいる相手は、どこからどう見てもタチの悪いチンピラにしか見えない。ここで嘘でも不味い、と言ったらどういう反応をするのだろうか。
「不味かねえが……甘い」
 気取ったバーに行ったときにナミが頼んだりするカクテルほどではないが、ほんのりとした甘さは違和感がある。味云々でなく、豚饅頭と思ってかぶりついたら餡饅頭だった、みたいな感じだ。
「甘いっつってもほんのひと匙だぜ。てめェみてェな鍛錬バカには糖分が必要だからな。蜂蜜の糖は人体に吸収しやすいんだと」
「ふうん」
 まあそういう飲み物もありかもしれねえな、とゾロは匂いをかぐ。花のような香りとレモンの風味が嫌味なく鼻をくすぐる。
「これは昨日の島で手に入れたのか?」
「ああ。名の知れた養蜂家のところで……って、さっきロビンちゃんにも喋ったな」
「ロビン?」
 ゾロの眉がひそめられる。仲間になって久しい考古学者は今ではもう家族のようなものだが、なんとなく面白くない。
「ロビンと一緒にいたのか?」
「……そうだけど、なんか不都合あるか?」
「いや。それで養蜂家がどうしたって?」
「いいだろもうその話は。それより、それ気に入ったんならもう一杯作ってくるけど?」
「………」
 ゾロはむっとする。ロビンに喋ったからと言って自分との会話を切りあげるのも、島に上陸中一度もサンジと会わなかったのもこの蜂蜜のせいらしいのも、気にくわない。半分以上減ったホットウイスキーを睨みつけ、それでもおかわりを催促してしまうだろう自分に舌打ちする。
 ログがたまるまで四日間だったから、いく晩かは宿をとってサンジとしけこむのも悪くねえな、と思っていたのだが。買い出しの下見と称してひとりでふらりとどこかへ行ってしまった黄色い頭は、合流先のレストランにも現れなかった。船番が初日でなかったら、翌日以降どうやら食事作りのために一日一回は船に戻っていたらしいサンジを捕まえることもできたろうに。誰かと船番を替わればよかったのだと気づいたのは後になってからで、用もないのに船に戻ったゾロは「さっきまでサンジいたぜー」とウソップに告げられ、用意してあった食事のご相伴に預かったりもした。ちなみにルフィは一口たりとも分けてはくれなかった。
 そんなこんなで女を買う気にもなれず島をぶらぶらしたり賞金首と知って斬りかかってきたよその海賊の相手をしたり、ゾロはこの数日健全に過ごしてきた。
「おい」
 ウイスキーを飲みほしたゾロはマグカップを床に置く。
「何だよ。やりてェの? いいぜ。毎日抜いても追っつかないお年頃だもんな。島ではお姉さまといい思いしたんだろ?」
 からかうような口調でサンジはネクタイを緩める。女は買ってねえ、とゾロはネクタイを首から抜いた。
「へえ。そりゃめずらしいな。酒代に消えちまったか?」
「まあそんなところだ」
 自分から言い出したくせに肯定すると微妙な表情をするサンジのシャツのボタンを外し、ゾロはむきだしになった鎖骨を舐める。
「おい、くすぐってェ」
「我慢しろ」
 べろりと何度も舐めあげ、ボタンを最後まで外す。四日ぶりに見ても白い肌だった。