優しくてすこし馬鹿

「おら」と突きつけられたブツに、サンジは反応が遅れた。ご飯のおかわりをねだるときのゾロの態度そのものだったけれど、そのときのように「自分でよそってこいやボケ!」とか「調子のってんじゃねェ!」などと咄嗟に返すことができなかった。
 なぜならゾロの手にあるのは、かわいらしくもラッピングされた菓子の箱だったからだ。

「な……んだよこれ……」
 遅れること数十秒。サンジはようやく言葉を発することができた。本日は3月14日。ナミとロビンから心のこもったお返しを期待していた彼は、朝からそわそわとしていた。読書にいそしむレディたちのためにお茶のおかわりを何遍も持っていき、しまいにはウザがられて図書室入室禁止を言い渡されてしまうほどだったのだ。
 そんな彼が切望してきたブツがまさに、ゾロの掌にのっている。
「ホワイトデーってんだろ? 今日は」
「そうだけど……ってことはこれは……?」
「お返しってやつだ」
「……ナミさんかロビンちゃんに頼まれたのか? バレンタインに「ありがとうサンジ君、これおいしいわ!」ってザッハトルテ喜んでたもんな」
 一か月前のバレンタインデー。島での滞在費を稼ぐためにサンジに大量のケーキを作らせたナミは、『本命セット』として町のケーキ屋の店頭で売りさばき、ほんの少しの場所代を支払っただけで多大な利益を手にした。そのうちひとつだけ取っておいたケーキを、その晩食して件の台詞を吐いたのだ。
 バレンタインにナミとロビンからチョコレートをもらえなかった(ナミ曰く「チョコ代がもったいない」、ロビン曰く「男性から渡す行事と勘違いしていたわ、ごめんなさい」)サンジにとって、それはホワイトデーへの期待ふくらます言葉だった。近頃では逆チョコというのも流行っているようで、ホワイトデーには女性から男性へというのも珍しくないそうだ。
「いや」
 しかしその希望をゾロがあっさりと打ち砕く。
「これは俺からの…」
「あー!そうか、この島のレディに頼まれたやつだな! 市場かどっかでおれを見かけて恋に落ちちまったのか、そうかそうか!!」
 両耳を塞ぎ、大声をサンジは張りあげる。まさかの可能性を彼は認めたくなかった。
 まさか、ゾロが自分にホワイトデーのお返しを寄越すなんて。
「で、そのレディはどんなだった? かわいい系?お姉さま系? おれとしてはどっちでもばっち来い!だぜ」
 それ以上を言わせまいと、サンジは一方的にまくしたてる。ゾロが持っているのはこの島の有名ショコラティエの店の包みで、トリュフが特においしいと評判だったので昨日購入して味見をしたばかりだ。
「いやー、レディから貰えるなんておれも罪作りだな。野郎からは死んでも貰いたくねェ!けど」
 突きつけられた箱を睨みつけ、サンジは相手の出方を待つ。あくまでもゾロが「自分からだ」と主張するのならぶちのめす覚悟だし、空気を読んで「女からだ」と意見をひるがえすようならば受けとってやってもいい。
 しかし、そのどの態度もゾロはとらなかった。
「っとにてめェは、素直じゃねェな……」
「……は?」
 やれやれとため息をつかれ、サンジは一歩後ずさる。素直じゃないと告げるその口ぶりに、こちらに対するある種の親しさを感じたからだ。
「な……なにが……?」
「ナミが言ってた。てめェは素直じゃねェってな」
「ナ、ミさんが……?」
 憧れの航海士の名を出され、これ以上ゾロと話してはいけないと第六感が警告しているのに、尋ねずにはいられなかった。
「ああ。本心でないことを言う事が多いってな」
「それは一体……どういう状況で……?」
「……あー、何だったかな」
「そこは覚えとけよ!!」
 がりがりと頭をかくゾロの鳩尾を蹴ろうとして、サンジは失敗する。目測はばっちりだったのだが、いち早く避けられてしまった。
「避けんなボケ!」
 八つ当たりも含めてサンジは怒鳴る。バレンタインデーはおろか、淡い期待をこめた本日のホワイトデーにもナミとロビンからの収穫はなかった。昨日、島のレストランでナミにばったり出くわしたときには昼食を奢らされ、別れ際に翌日の船晩よろしくねと言われたときには、もしやと思ったのだが。
 一日中そわそわしながら待機していたにもかかわらず、美女二人のどちらかがサニー号に現れることはなかった。
「あー……今日という日が終わるぜ」と暗くなった空を見上げるサンジの前に現れたのが、このムカつき度1000パーセントの仲間の剣士だった。そして、腹巻きの中から何かを取りだしたかと思えば、それを差し出してきたのだ。
「悪いけどなマリモ、今日ばかりはてめェの冗談を受け流す余裕がおれにはねェ。おれはハートブレイク中なんだ。メシだったら適当に用意してやるから、おとなしくそれ食って宿に帰ってくれ」
 まさかゾロがホワイトデーの意味を知らぬ筈がない。全世界から届くロロノア・ゾロ宛のチョコレートの山に不信感をさらけだし、その理由をウソップに尋ねていたのだから。そして「応える気持ちがあるときはお返しってもんをするんだ」と、故郷の幼馴染から届いたカモメ便にご機嫌の狙撃手から、ご丁寧にもお返しのくだりまで教わっていた。
 だから今こうしてゾロが自分にこれを渡そうとしているのは、チョコレートをひとつもゲットできなかったことに対する嫌味か、考えたくはないが……皆で食べたチョコレートケーキに勘違いをされたしまったのか。
「つーか、てめェホモだったのかよ。どうりでこの一ヶ月ケツにやたらと視線を感じると思ったぜ。ホモ剣豪かよ」
 その可能性を否定してほしくて、サンジはつとめて明るく振る舞う。煙草の煙をゾロの顔に吹きかければ、嫌そうに顔をしかめられる。
「違う」
「はっ、そりゃあよかった。じゃあこれは何の真似だ?」
「何の真似って、今日はホワイトデーってやつだろうが」
 箱をぐいと押しつけられ、サンジはつい受けとってしまう。いかにも女子の喜びそうな華やかなラッピングを施されたそれは、実際は軽かったにもかかわらず重く感じられた。
「……ついさっき、違うって言ったばかりだよな?」
「ああ」
「……ホモじゃねェんだよ、な?」
「ああ」
「じゃあ何だよこれは」
「お返しだ」
「いや、だから……。ホモでなくてどうしておれにこんなものを寄越すんだ? 第一、おれはてめェにチョコなんか渡してないだろうが。あのザッハトルテは皆で食べただろ? 特別な気持ちのこもったもんじゃ……いや、ナミさんとロビンちゃんには愛をこめてたけどな」
「ナミがてめェは素直じゃないって言ってた」
「またそこかよ」
 話が通じなくてサンジはため息をつく。どうしてこんな状況になったのだろう。
「で、それが今回と関係があるのか?」
「ある」
 ゾロがきっぱりと言い切る。
「ちょうど一ヶ月前だ。ギャレイに酒を取りに来た俺に「特別だ」っつって、ウイスキーの入ったチョコを食わせてくれたよな」
「………あ、あれは……」
 バレンタインの晩のことをサンジは思いだす。ナミに小遣い稼ぎに利用され、それ自体は彼女の役に立てたのだからまったく構わなかったのだけれど、「ありがとサンジ君」の言葉だけでも嬉しかったのだけれど、小さくてもいいから欲しかったなあチョコレート、と幾分気落ちしていたときのことだった。
 余った材料で菓子を作っていた彼は、キッチンに現れた剣士に、味見がてらウイスキーボンボンを食べさせてやったのだ。
「特別だって言ったよな、お前」
「いやだからあれは……」
 距離を詰められ、サンジは後退する。あれは「普段ならてめェになんか食わせてやらねェが、今日だけは特別だ」の意味であって、それ以外のつもりはない。  しかしそれを説明しようにも、間近に迫るゾロの顔が切羽詰まりすぎていて、言葉が出てこなかった。
「その意味をずっと考えてた。散々俺のことをアホだのクソだの罵ってきたのは、もしかして愛情表現だったんじゃねェかって。素直になれないガキが、好きな相手に喧嘩売ってるだけだってな」
「や……違うから……」
 手首を掴まれ、サンジはひいっ!と悲鳴をあげかける。ゾロの目が血走っているように見えるのは気のせいではない。
「やたらと俺に突っかかってくるのが不思議だったんだが、そういうことだったら納得がいった。女好きを自負してるくせに仲間の男になんて、そりゃ素直になれないよな」
「あの……違……」
「心配すんな、俺も同じ気持ちだ」
 背中にどーんと効果音をしょって、ゾロが堂々と宣言する。
「いや……あの……」
 ネクタイをするりと外されて、サンジは目をしばたく。
「好きだコック」
「ゾ……」
「好きだ」
 畳みかけて告白するゾロの腕が、ちゃっかりとサンジの腰にまわる。服の上から形のいい尻をなでれば、想像していた通り最高の触り心地だった。
「好きだ」
 呪文のようにくり返し、片手で器用にスラックスのベルトを外す。ワイシャツのボタンは面倒なので引きちぎった。
「ゾロ!!」
「なるべく優しくしてやる」
 これまで誰にも言ったことのない台詞を吐いたのは、これが本気の相手だからだ。床にはじけ飛んだボタンが、キッチンの隅に転がっていった。
「優しくって……おい!変なもん押しつけんじゃねェ!! だから誤解だっつーの!」
 怒涛の展開についていけなくなったサンジが叫ぶ。首筋に噛みつかれ、彼はぎゃっと悲鳴をあげた。
「やめろゾロ!おい!」
 菓子の箱がサンジの手から落ちる。もみあう彼らの足に潰されることなく、それはゾロの踵に蹴られてどこかに飛んでいった。 
「ほんと素直じゃねェな。誰もいないから安心しろ」
「だから誤解だっての!! ナミさんロビンちゃ〜ん助けてー!!」
 現れる筈もない救世主の姿を求め、サンジは手足をばたつかせる。この二年のうちに体術も格段に進歩したゾロに組み敷かれ、逃げることは困難だった。
「誰かこいつの暴走を止めてくれェェ!」
 重い筋肉の塊にのしかかられたサンジの絶叫が、広いサニー号にこだまする。穏やかな波の音がそれをやさしく包みこんだ。

 幸いなことに翌朝まで放置していたにもかかわらず、ゾロからのプレゼントは崩れても溶けてもいなかった。
 ちなみにプラリネの詰め合わせで、店員のおすすめを買ったのだそうだ。