マリモ研究日誌

 発端はナミだった。
「あー、世も末だわ」
 テーブルに肘をつき四つ折りにした新聞を眺めほうじ茶をすするその姿は、番長の風格漂う。今週の彼女は『イーストの健康食ですこやか美人』らしいが、次の島に着いたらロビンとケーキバイキングの予定をたてている。
 そんなとこ行かなくてもおれが作ってあげるよと悲しそうな顔をするサンジにチラシを突きつけ、そういうことじゃないの、どれだけ食べても値段が変わらないってことに意味があるんじゃないと言い放つナミは、今朝も金儲けに頭をめぐらす。
「見てよ、『にゃんたん観察日記がベストセラー』ですって」
「まあ」
 新聞の特集記事を見せられたロビンは、たいして感銘をうけた風もない。
「こんな素人が出したペットの絵日記ぐらいで百万部も売れられちゃ、たまんないわ。こういうくだらないのが受けるから、部数の伸びない専門書が高くつくのよ」
「そうね」
 真面目には相槌をうっていないロビンのマグカップにはコーヒー。健康によかろうが美容によかろうが、いかなるときも彼女は自分のペースを崩さない。

 その麗しの女性陣の会話を聞いていた人物がいた。
 甲板でぐるぐる転がり遊んでいたルフィではない。ぐるぐる眉の、コックだった。


 奇異はその晩から始まった。
「――あ?」
 こちらに注がれる視線に振り向けば、さっと逸らされる。気をとりなおして食事を続ければ、また視線が。そのくり返しにゾロのこめかみがぴくぴくと引きつった。
「またサンジがなんか始めたぞ」
 ひそひそと囁いたウソップに片眉をあげたナミが、放っておけば?と煮魚の身をほぐす。おもしろいことが始まりそうだと直感したルフィとチョッパーは、ウキウキしている。
「おい、いい加減にしろ。さっきから何のつもりだ」
 いい加減キレたらしいゾロが箸をぱしりと置く。途端にゲフッと音がして、おや失礼とフランキーは爪楊枝を求める。
「相変わらずマナーがなってねェな、ほらよ」
「ありがとうございます」
 仕方ないといった感じでブルックに爪楊枝を渡すサンジは、お年寄りには優しい。これがほかの男連中だったら脳天踵落としが決まっていた。
「クソコック、無視すんな」
 養老院でのひとコマを見せつけられたゾロが、ドンとテーブルを叩く。
「ちょっと、まだ食べてるのよ」
 抗議するナミを睨み、ゾロは席を立つ。
「レディの食事を邪魔するたァ、不届きな野郎だな。あ? やんのか?」
 ファイティングポーズをとったサンジがわざといいところを見せようとしているのは明らかだ。それを知っていながら黙殺する女性陣は、逆に親切なのかもしれない。
「そりゃこっちの台詞だ。鬱陶しくじろじろ見やがって、何のつもりだ」
 ゾロの腕の筋肉がぴくぴくと動く。ひっと叫んだウソップがチョッパーにしがみつき、ルフィはその隙にメインディッシュを二皿分奪う。あっ、おれの魚!とウソップが叫んだときには遅かった。
「はあ? なーんのことだ?」
 火のついていない煙草をくわえるサンジが、にやにやと笑う。
「誰がテメェなんざ見るかよ。おれァ食事の最中は皆に気を配ってる。まぁそんときたまたま……たまたまだが、テメェを見ることもあるかもしれねェが、だったらどうした?」
 ぐぐ、とゾロの唇が歪む。おいあいつ俺をじっと見てたよな?などと周囲に確認をとる筈がないのをわかっての台詞だ。
「それをなに勘違いしたんだか……これだからマリモは困るぜ」
してやったりでオーバーアクションをとるサンジに、ゾロは耐えた。ムカつきすぎて目の前が真っ赤になったが、これも修行の一環だと椅子に腰をおろした。
「……」
 気をとりなおして食事を続けようとしたが、皿は空っぽだった。迷いなく犯人に目を向ければ、頬袋をぱんぱんにしたルフィがにやりと笑う。


 その翌日から、ゾロは余計な忍耐を強いられることになった。
 鍛錬をしていれば「単体では寂しいのか、トレーニングにやたらと励む」と呟かれ、木陰で昼寝をしていると「光合成は欠かさない、環境に配慮か。しかし直射日光には弱いようだ」と邪魔される。刀の手入れをしていれば「ヒカリモノを好む」と呟かれ、本気で切ってやろうかと思った。
 テメェいい加減にしろと一度だけ詰め寄ったこともあったが、おれは独りごと言ってるだけだぜ?ととぼけられ、口ではかなわないのを知っているゾロはそれ以上追及するのをやめた。
「あら疲れてるわね、大変ねえ」
 言葉とはうらはらに口元の笑っているナミが、すれ違いざま声をかける。
「あのアホどうにかしろ」
 マストの陰からこちらを窺っている金色の頭を親指で指し、ゾロはため息をつく。
「いいけど高いわよ」
「あいつがおかしなこと始めやがんのは、大抵お前絡みだ」
「あら失礼ね」
 腰に手をあてた航海士が、心外とばかりに頬をふくらませる。こうしてると年相応だよなと思いつつ、ゾロは分かったもう頼まねェ、と踵をかえす。
「レディへの礼義がなってない、下等生物の証か」とマストのむこうで呟かれた。本当に腹がたつ。



「――よし」
 これだけ収集できればいいだろうとサンジはご満悦だった。『極秘』と極太マジックで書かれたノートには、ゾロについての細かな情報が記載されている。

【栄養について】:人間と同様のものを食す。基本的に好き嫌いはないが、あっさりしたもの(醤油、味噌の味付け)を好む。油分を多量に摂取すると皮膚呼吸ができなくなるからか?
【呼吸】:鼻、口、皮膚で行なっているようだ。
【温度】:寒さ、暑さに強い。雪の中でも平然と眠る。(プチ冬眠か?)
【水との関係】:夏場はよく海に飛び込んでいる。沸かした湯も好きらしく、温度は熱め。長時間湯船につかり鼻歌をうたうこともある。(仲間との通信手段か?)
【水との関係2】:アルコールを過剰に摂取。エネルギー源か? イースト地方で作られる醸造酒を最も好物とする。

 ぱらぱらとページをめくりながら、何か足りねェなあとサンジはもやもやする。
 ナミとロビンの会話をきっかけに、思いついたのは『マリモ研究』だった。頭が緑なんてヒトとしてあり得ないと常々思っていた。それに行動も人間離れしていて、悪魔の実を食べてもいないのにあれはおかしいだろう。
 ヒトの皮を被った未知の生物かもしれないと疑ったサンジは、ゾロを観察することにした。その結果をまとめて本にすれば、もの珍しさから売れるのは間違いない。そうなれば、逼迫した家計にキュートでセクシーな胸を痛めているナミを助けることになる。
 ――ありがとう、サンジ君。私を救ってくれる王子様はあなただけよ。
 ――いやそんなこと、あるさ。さあナミさん、二人の未来は明るい!
 妄想がエスカレートするのを止められないサンジは、ここ数日ゾロに張り付くようにして観察データを集めた。
 しかしどうも、大事ななにかが抜けている気がする。
「うーん、腹巻が実はイーストの老舗メーカーのものだってのも、突きとめてるんだけどなあ……」
 本の帯についても考えてあるのだ。『世界に一種しか存在が確認されぬ、剣豪マリモの生態』。完全にどこかのパクリだが。
 うーんと逡巡し、ああそうだとサンジは手拍子をうつ。
 生命の神秘、生殖についてだ。
 人間にとっては愛のきらめき、レディとのうっとりする夢のような時間を、あいつはどう過ごしているのか。とりあえず島ではプロの女性にお相手願っているらしいので、人とも接触が可能だ。しかし同族との繁殖方法はどうなっているのだろう。
 し、知りてェ! と、ノートを握るサンジの指がぶるぶると震える。
「これ発見したら、生物学賞獲っちまうんじゃねェか?」


 眉間の皺をくっきり刻んだゾロが、ラウンジのドアを乱暴に開ける。
「酒もらうぞ」
 できれば声などかけたくなかったのだが、キッチンのものに手をつけるときはコックの了承を得なければならない。
「左端の下から二段目。なあ、聞きたいことあんだけどよ」
 ラックの酒を指定したサンジが、食器棚から小鉢を取った。
「なんだ」
「そう警戒すんなって。ほら、これ食っていいぜ」
 煮物の盛られた小鉢を渡され、ゾロの鼻がひくりと動いた。烏賊と大根と里芋。故郷の味を完璧に再現し、うまさではそれを凌駕するこの一品は、彼の好物のひとつだ。
 食いもんで懐柔とはきたねえ奴だと唸りながらも、胃袋は食べろと命令する。
「なにが聞きたい」
「あのよ、お前のえっちって普通? それともすげェ特殊だったりする?」
 ぶっと里芋を吹きそうになって、ゾロは口をつぐんで咳こむ。小鉢をテーブルに置き、気持ちをなだめるまでに少々時間がかかった。
「それとも種族の秘密だったりして教えらんねェ?」
 とんでもない質問をしてくれたサンジが、つま先で蹴りつけにやにやする。
 ゴゴゴ、と効果音の聞こえそうなオーラを出したゾロが、もう勘弁ならねえ、と呟いたのとサンジの肩をがっしり掴んだのは同時だった。

「そんなに知りてえんなら教えてやる。テメェの身体にきっちり、な」
「え……」

 ぎゃああ!という悲鳴を耳にしたナミは一瞬斜めむこうに顔をあげたが、すぐに視線を本に戻した。
「どうしたのかしら?」
「サンジ君がああいう声出すときは虫関連でしょ。ああやだ、思い出しちゃった」
 本をぱたりと閉じたナミに、隣のベッドで婦人雑誌を読んでいたロビンがもう寝ましょうか、と微笑む。
「そうね、夜更かしは美容の大敵だわ」
 明りを消し毛布にもぐりこむ彼女たちは知らなかった。
 数時間後、声を枯らしたサンジが記憶を飛ばす前に言い残した言葉が、「や……野獣……」だったことを。